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4月 22

大学生活

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ここでは僕が大学生のときにやったことと、感じたことの一部を紹介します。

僕の大学は管理栄養学が学部の1つとしてありましたが、
そこに入ってきている学生で「病院で栄養士として働きたいからここにきた。」というような、
明確に目標を持ってきている人は1割いなかった。大学生活を遊びたい人ばかりだった。
実際の僕の大学生活は、本気で夢を話せる仲間はかなり少なかった。遊びばかり考えている人とは、まったく話しても面白くなかった。

大学に入るときには、大学でできることに対してとても関心を持っていたし、夢を持っていた。生活力がつけたかったし、自分が生きていく為に健康は必須だと思ったから、迷わず栄養学を選んだ。実験や化学的な作業や工作が好きだったのもあった。
2年間学んだ中で、よくわかったことは、数字をみて栄養素を計算して料理ができること、味覚には亜鉛という微量栄養素不足していると味覚がなくなること。カルシウムを吸収させるときにはビタミンが必須なことなどだ。ほかにも一般的な家庭料理の作り方で、充分に栄養素を摂取できることもわかったし、同じ作り方で、病院食のような栄養素を多くとり、カロリーを制限するような料理もできること。
特別なことは特には必要なかったことがわかった。

しかし3年に進級するときに、管理栄養学には興味がなくなった。栄養に関してはあるのだが、研究や就職の為に勉強したいとは感じなくなった。
だから次に起こした行動は、経営学を学びたいと思った。経営学には、お金を稼ぎだすこと、利益を生み出すこと、利益を使って運営すること、継続すること、利益を社会に役立てることなど、仕事でやりたいこと、知りたいことの宝庫に見えた!
最高に興奮した。こんなことが自分でできるようになれば、どんなに楽しいだろう。
2年の春、転学する前から栄養学の授業をさぼって会社法の事業や経営学のカリキュラムにもぐりこんだ。知らないことばかりだったから、とても楽しかった。はっきり言って会社法は一生懸命ノートをとって勉強したが、さっぱり理解出来なかったのを覚えている。実際にやってみないと身に付かないタイプなのかもしれません。
そこで会った友達がいた。会計士志望の後輩と、お笑い芸人になりたい同級生(ヤマネくん)。彼らはいまでも仲のいい友達だ。いずれ一緒に仕事をすることができれば面白いと思う。

面接をするために経営学の学部長に会った。非常に物腰の柔らかい人で、好感が持てたので、益々興味を持った。彼らに当時の社会情勢と自分の考えをレポート用紙5枚くらいにまとめた志望動機を書き、経営学部に転学したい棟を伝えた。彼らの反応は、これほど考えている学生はほとんどいないので転学は問題ないが、あなたは管理栄養学で3年になれば資格がとれるようになるのに、本当に変わるのか?ということだった。

当然資格は興味あるけど栄養学に関する就職はしたくなかったので、変わりたいと答えた。これで2年生から1年戻って大学生活をスタートすることになった。
こちらもかなり期待しました。
経営者になりたいという夢は大学生のはじめに持ったから、この学部はそのための道だった。しかしまた失望してしまう。ここを勉強したら経営者になるために知識がつけれると思いましたが、授業をうけるうち、あまり期待出来ないと感じてきました。
さらに僕は同級生より1年繰り下がっているので、この学部で経営者になるための役に立たないと、就職することですら出遅れてしまう。結果この学部をやめました。この学部での失敗は、大学で学部を先行すればプロになれる訳ではないということと、教えてくれる先生は経営のプロではないと言うことでした。教科書は説明出来ますが、実際に経営はできない人たちなので、知識のみの授業に面白みを感じませんでした。
財産は友達ができたことです。先ほど紹介した2人です。
彼らはおそらく一生の友達です。

転学してから熱意を失うまでは2ヶ月でした。やめたのは1年後。その間は学校にはいきませんでした。代わりに塾の先生をはじめました。塾の先生をはじめるとき、人に伝えること、教えること、学ぶことが経営に必要と考えたことがはじまりでした。しかしこんな具体的な考えを僕一人で思いついた訳ではありません。これには将来結婚することになる女性や、真剣に相談出来る相手がいたことが背中を押してくれました。

塾の先生は1年間やりました。そこでは、僕と24歳の太った男性と、教室長の3人がスタートメンバーとして、新しく開講する教室でスタートしました。スタートメンバーのタイミングに入れたことに、とても興味をもちました。なぜなら、そこは小さな経営だったからです。教室を運営する為には何が必要かということも学べる機会がありました。
僕はそこで2ヶ月、一生懸命仕事を覚えました。マニュアルを見なくても生徒に教えることができるようになれるように、真剣に取り組みました。そのマニュアルと教室長のアドバイスから、子どもたちをやる気にさせて、興味を持たせることを学びました。学力があがる生徒もいました。テストでいい成績がとれると、とても嬉しく感じます。頑張ったかいがあったと達成感も感じます。

その教室で、新しいことをはじめたくなりました。
アルバイトという身分ですが、仕事を覚えてしまうともっとやりがいを求める性格のようです。ちょうど仕事を覚えてきてたいくつしてきたのと、新しくアルバイトで大学生講師が入ってきた中で、彼らは生徒に教えることに苦戦していたことがあって、アルバイト講師のためのプログラムを用意しようと考えました。彼らが子どもたちにもっと教えることができて、楽しく仕事ができるようにすることを目標にしました。

教える為には自分がわかっているだけではできません。なぜなら、相手は自分と同じように生きてきている訳ではないし、考え方も違います。教える為には、相手が理解出来るように、相手にわかる言葉で理解出来る内容で教える必要があります。
そのためにパソコンでプレゼンテーションを作り、質疑応答形式にしたり、月に1時間ほどの時間をとり、内容を教室長に査定してもらい、アルバイトを含め先生方への連絡事項の項目と一緒に、開催することになりました。

1対多数の形式で先生勉強会を開くので、話す内容やプレゼンなど下準備が大切です。
そこで開催することにはいろんな意義がありました。相手に伝える為にどれほど資料を用意する必要があるか、相手が知りたいことは何か。プレゼンするときには、様々な意見がでました。静かに聞いてくれる人や、いろいろ質問してくれる人、こちらからの質問に答えてもらうようにするには、「誰かわかる人はいませんか?」というより「祖父江さん、これについてどうおもいますか」と相手を指定した方が答えてくれます。

教室をやめるまでの1年、とても充実していました。自分がその教室の運営に噛んでいることがとてもやりがいが感じられました。ただのバイトと思ったことはありませんでした。やめるときには、準社員になるチャンスがきていました。


生徒に教えることに非常にやりがいを持てたし、生徒もその親も、僕がやめることに残念に思ってくれて、それだけの仕事ができたことにとても感動しました。やっていてよかった!と思いました。しかし、先生という仕事で経営者に上り詰めることに対しては、なぜかあまり興味がもたなかった。

その次にタイミングよく待っているチャンスもありましたから。
そのチャンスとは、まさに僕が望んでいた、経営する仕事でした。
その仕事をやるために、塾の先生と大学をやめました。

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